卒業が決まっている推しが活動休止期間に入ったオタクの情緒とは

 

活休初日。想像していたような悲しい気持ちにはならなかった。きっと前日の武道館のライブがすごく楽しくて、最初から最後までずっと笑顔で観ることが出来たから。仲のいいオタクと一緒に笑って、沸いて、コールして、夢のような時間だった。ライブの後はご飯を食べに行って、黄推しの友達とホテルに泊まって、翌日はいちごのビュッフェにも行っちゃった。ポケセンで推しとお揃いのコダックの前髪ピンを買って、東京駅地下のキャラクターストリートをぶらぶらして、ちいかわランドで可愛いいきものたちを見ては『これは○○な推し!』って例えて遊んだりした。推しのブログ楽しみだね、って言いながらバイバイして、写真がいっぱいのブログはひとりで読んだけど、とってもニコニコしながら読むことが出来た。楽しいいちにちだった。

 

 

武道館のアーカイブを買った。当日は気づくことの出来なかった、見落としていた推しのカワイイ瞬間が沢山あった。どうしてなのよ、推ししか見てないのにね。多分ライブ中って映像と音に対する脳の処理が追いついてないんだと思う、1カワイイに対してカワイイって思ってる間にまた次のカワイイが起こるから……取りこぼし勿体ないなあって思った。

ライブが始まって、来たぞ日本武道館!って叫ぶ推しのキラッキラの笑顔は、視力的にハッキリ見えていなかったので、画面にドアップで映してくれてありがとうって思った。アーカイブは、見ながらちょっと泣いた。こんなところまで来たんだね、って、画面に映る俯瞰の会場を見て実感した。

 

 

FCイベントが、テレビで放送されることを知った。おめでとうって思うと同時に、どうして推しがいない時に?と思った。武道館のアフターイベントなんだから仕方ない、武道館の振り返りはこのタイミングでしか出来ないんだから、と思い至った。休止を決めたのは推し自身だし、誰も何も悪くない。だけどプロデューサーさんが『1年くらい前から目をつけていて一緒に仕事をしたいと思っていた』みたいなことを言ってくれたと知って、余計に、なんというかもう、どうにも言い表せない感情になった。1年前のMeseMoa.は、推しがいるMeseMoa.なのに、ようやく実現したそれに推しがいないことが心から悔しかった。だけど、すごいねおめでとうって思う気持ちも嘘じゃなかった。ほんとだよ。ただ羨ましい、って気持ちが大きかったのかもしれない。

別に武道館の振り返りイベントをテレビで放送しなくてもいいんだから普通のバラエティとして武道館前にやってくれれば、とか思ったりもした。まあ色んな制約やスケジュールやなんやかんやがあってこのタイミングになってるんだろうし、無理だったんだろうというのは分かっている。仕方ない、仕方ない。オタクが悔しがったってしょうがないんだから。

そこでふと、思った。推しはどう思っているのだろうか?勝手に悔しがっていたけれど、推しはどんな気持ちなのだろう。

きっと、テレビに出たいという気持ちはあったと思う。だけどその気持ちは、がむしゃらにアイドルをしていたあの頃の気持ちと同じものだろうか?この悔しさは、同じ種類のものだろうか?

違うんだろうな、と思った。アイドルとして有名になりたい、もっと大きくなりたいと思って活動していたあの時の『テレビに出る』と、終わりを決めて、そこに向かってまとめの段階に入っている今の『テレビに出る』が同じ意味を持つはずがなかった。それが、たまらなく寂しかった。

私にとって『推しがテレビに出る』『推しが外部の仕事をする』ということは、これからのアイドル活動への大きな武器になることという認識だった。アイドルとして有名になるための、大きくなるための、力になるものだという認識が根底にあった。だから、悔しかった。だけど今の推しにとって、その武器はもう必要のないものだと気づいてしまった。推しがもう、卒業を決めているということは随分前から知っているのに、その事実がこの根底と結びついていなかったのだ。

推しが、もう卒業するからといって活動に手を抜くような人間でないことは誰もが知っている。きっと卒業のその時まで、歌もダンスも一生懸命努力して、自分を磨いて、横浜アリーナでは今まででいちばんのパフォーマンスを見せてくれるんだって確信している。だけどもう、もっと有名になりたいとか、もっと大きくなりたいとか、推しがそういう風に思っているという『今まで当たり前だと思っていた』ことを前提として置くことは出来なくなってしまったのだと、唐突に理解した。何故か、今まで理解していなかった。未来に夢を見られなくなったということは、卒業が発表されたその日から分かっていたのに。

寂しい。寂しいという言葉の枠からはこの感情は少し溢れてしまう気がするけど、概ね合っていると思う。自分はあまり深く考えずにオタクをしていると思っていたけれど、心の奥底では、貪欲に前進していく推しを見ていたいと思っていたのかもしれない。この寂しさは、そういうことなのかもしれない。分からないけど。私は推しに、テレビに出たり外部の仕事をもらったりして欲しくて、だけどそれはもう推しに必要のないことで。この相違は絶対に埋めることの出来ないものだということは確かである。

 

 

昔ブログか何かで、『みんな無理しないでって心配してくれて嬉しいけど、どうか今は無理させてください』といったような内容のことを推しが言っていたのを思い出した。トラライの頃だったかな。その時の前向きで必死な推しのことが大好きだった。何も考えず、無邪気に未来を夢みて、ただひたすらについていって、応援していた。

じゃあ今の、卒業の日を迎えるために活動している推しのことはどうなのかというと、なんと昔よりもっともっと大好きになっている。結局『白服さん』という存在の何が好きかって、その人間性が大部分を占めているのだ。真面目で、誠実で、優しい推し。時間を重ねる毎にどんどん好きになっていくから、もうどんなに望む未来が違っても、見つめる先が違っても、それも含めて全部が推しで、愛おしい存在であり続けてくれている。

アイドルが好きで、アイドルになりたくて、アイドルになって必死に努力して、だけど辛くなってしまって、アイドルを辞めるという決断をした推し。辞めてしまうのは悲しいけど、なんだろう、推しがその決断をできる人で良かったと思う。そして辞めると決めたあと、今までよりもっと黄推しのことを大切にして、溢れんばかりの愛情を注いでくれるんだから、黄推しは本当に幸せ者だ。言ってしまえば、卒業後はもう私たちは推しにとって必要のない存在になる。その事実は変わらない。だけど必要がないからといって、途端に疎まれるような存在にはならないと思う。9年間推しのことを観察してきて、私は推しのことをそういう人間だと解釈している。願わくば、推しがいつまでも、黄推しのことを愛おしい存在だと思ってくれますように。そして、世界でいちばん幸せであってくれますように。

 

 

とりあえずはやく戻ってきて?そして残りの期間思う存分ちやほやさせてね、大好きな推し。